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福岡地方裁判所 平成7年(ワ)4513号 判決

原告 破産者福岡鋼板工業株式会社

破産管財人 三浦邦俊

右常置代理人 作間功

植松功

李博盛

近江団

被告 三井海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役 松方康

右訴訟代理人弁護士 平田大器

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し、四七八万九六八〇円及びこれに対する平成八年一月一一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、損害保険会社との間で傷害保険契約を締結していた破産会社の破産管財人が右保険契約の解約を理由に解約返戻金の返還を求めたのに対し、損害保険会社において同社が破産会社に対して有する債権との相殺を主張して、その返還義務を争った事案である。

一  争いのない事実

1  被告は、損害保険業を目的とする株式会社である。

2  破産者福岡鋼板工業株式会社(以下「破産会社」という。)は、被告との間において、左記のとおりの内容の二件の積立普通傷害保険契約(以下左記(一)の契約を「本件保険契約(一)」、左記(二)の契約を「本件保険契約(二)」、あわせて「本件各保険契約」という。)を締結した。

(一) 契約締結日 平成四年三月三一日

証券番号 〇三七四五九〇四四七

保険期間 平成四年三月三一日から平成九年三月三一日まで

払込金額 二六一万九六〇〇円

払込方法 一時払い

形式口数 六口

満期返戻金 三〇〇万円

被保険者 別紙被保険者(一)≪省略≫記載のとおり

死亡受取人 同左

(二) 契約締結日 平成四年三月三一日

証券番号 〇三七四五九〇四五六

保険期間 平成四年三月三一日から平成九年三月三一日まで

払込金額 一九九万一六〇〇円

払込方法 一時払い

形式口数 四口

満期返戻金 二〇〇万円

被保険者 別紙被保険者(二)≪省略≫記載のとおり

死亡受取人 同左

3  被告は、破産会社との間において、平成六年一月八日頃、「ジェミニ号」積載貨物のホットロールドスティールシート三〇二五・九二〇メトリックトンについて、ブラジルビクトリアから若松までの貨物海上保険契約を締結した。

被告は、破産会社に対し、右保険契約に基づく未収保険料債権二九万七六〇五円を有している。

4  被告は、破産会社との間における平成四年五月一四日付法令保証委託契約(輸入貨物にかかる納税保証契約)に基づき、平成六年五月二日、門司税関に対し、一五三二万一八〇〇円(内訳は、関税八五一万五九〇〇円、消費税六八〇万五九〇〇円)を支払い、さらに、平成六年六月六日、門司税関に対し、七二万八六〇〇円(消費税)を支払った。

被告は、破産会社に対し、右求償債権合計一六〇五万〇四〇〇円を有している。

5  破産会社は、平成六年三月三日午後一時、福岡地方裁判所において、破産宣告を受け、原告が破産管財人に選任された。

6  原告は、平成八年一月一〇日、被告に対し、本件各保険契約を解約する旨の意思表示をした。

原告は、右解約により、被告に対し、左記の金額の解約返戻金債権を有している。

(一) 本件保険契約(一)

積立特約部分 二七五万九一〇〇円

補償部分のうち

死亡部分 三万六〇〇〇円

入院部分 一万四一一〇円

料率改定増額分 二万五五五〇円

以上合計二八三万四七六〇円

(二) 本件保険契約(二)

積立特約部分 一八三万九四〇〇円

補償部分のうち

死亡部分 六万六四三〇円

入院部分 二万二八五〇円

料率改定増額分 二万六二四〇円

以上合計一九五万四九二〇円

7  被告は、平成八年二月七日の本件口頭弁論期日において、原告に対し、右3の自働債権(二九万七六〇五円)と右6の本件保険契約(一)にかかる受働債権(二八三万四七六〇円)とを対当額において、また、右4の自働債権(一六〇五万〇四〇〇円)と右6の本件保険契約(一)にかかる受働債権の残り及び右6の本件保険契約(二)にかかる受働債権(一九五万四九二〇円)とを対当額において、それぞれ相殺する旨の意思表示をした。

二  争点

本件の争点は、被告主張の相殺が許されるか否かにあるところ、右の点に関する当事者双方の主張の要旨は、次のとおりである。

1  原告

以下の理由により、被告の相殺は許されない。

(一) 本件の場合、破産宣告の時点で、破産債権者たる被告の一方的意思によって、相殺適状にできなかった以上、民法五〇五条一項本文の趣旨から、相殺は許されない。

すなわち、破産法九九条後段は、受働債権が、期限付、条件または将来の請求権であっても相殺は許されると規定しているが、右規定は、受働債権の条件や期限の利益が債務者である破産債権者の利益のためでなく、破産者側にあって、破産債権者の一方的意思で受働債権について相殺適状の状態にできない場合には適用がないと解するべきところ、本件の解約返戻金債権は、保険契約者である破産会社あるいは原告が解約の意思表示をしなければ、履行期が到来しない債務であり、破産債権者の一方的意思により、破産宣告時に相殺適状の状態にできなかったのであるから、民法の原則どおり、相殺は許されない。

(二) 本件各保険契約においては、保険約款上も保険会社からの相殺を認める規定は存在せず、また、破産宣告後も、原告は被保険者を管財人補助者として雇い入れて作業をさせており、保険事故発生の危険は破産宣告前と全く変わりがなかったのであるから、被告に相殺の合理的期待はなく、この点からも被告の相殺は許されない。

2  被告

被告の本件相殺は、以下の理由のとおり、破産法九八条、九九条により許されるものである。

(一) 本件相殺の自働債権は、いずれもその発生原因が破産宣告前に存し、破産法上の相殺の用に供することのできる破産債権(破産法一五条)である。

(二) 本件相殺の受働債権は、本件各保険契約の解約を停止条件とした停止条件付債権として、破産宣告前に発生しており、破産法九九条により、相殺に供することができる。

すなわち、破産法九九条の解釈として、停止条件付債権の場合に、破産債権者が破産宣告時に直ちに相殺を行わず、破産手続中に条件の成就を待って相殺権を行使をすることも許されると解される。

(三) 右のように、破産手続中に条件が成就して、相殺権を行使する場合は、形式的には、破産法一〇四条一号に該当するようにみえるが、既に破産宣告時に相殺権が与えられていたのであるから、無条件で、あるいは合理的な相殺期待の認められる停止条件付債権である限り、同号に該当しないと解するべきところ、本件の解約返戻金債権については、損害保険であり、事故発生率が低く、満期返戻金を支払うか、解約による解約返戻金を支払うかのどちらかが発生する蓋然性は極めて高く、また、本件のような積立型保険の場合は、保険会社としては、満期返戻金又は解約返戻金債務の現実化を十分に予測して、解約返戻金債務を受働債権とした相殺の期待を前提にしたリスク管理をしているのであるから、相殺に対する合理的期待が存するのは明らかであり、本件相殺は、破産法一〇四条一号には該当しない。

第三当裁判所の判断

一  相殺の可否について

1  まず、相殺の自働債権についてみると、前記争いのない事実に記載のとおり、被告が自働債権とする債権は、いずれも破産宣告前の原因に基づき生じた債権、すなわち破産債権であることが明らかであるから、相殺の自働債権としての適格に欠けることはない。

2  次に、被告が受働債権として主張する本件各保険契約に基づく解約返戻金債権の性質について検討するに、本件の積立普通傷害保険契約は、積立保険のうち、傷害による死亡及び後遺障害を担保内容とするもので、保険契約締結日である平成四年三月三一日に既に全額保険料の払込みがされており、保険期間を通じて所定の保険事故が発生しなかった場合には満期返戻金が支払われるほか、保険契約者は、いつでも保険契約を解約することができ、その場合には、保険会社である被告が保険契約者に対し、保険約款の定めるところにより計算される解約返戻金を支払うことになっているものである(以上、≪証拠省略≫)。

したがって、本件の解約返戻金債権は、解約前においても、その時々において金額が確定しており、保険契約の解約を停止条件とする条件付債権として、破産会社の破産宣告時において、既に発生していたものであるから、破産法九九条後段の条件付債務に該当するものである。

3  以上を前提に、相殺の可否について検討する。

(一) 破産法上の相殺においては、破産債権者間における平等的比例弁済確保の見地から、原則として、破産宣告当時破産債権と破産者の債権とが相殺適状にあることを要求して、これを制限しているが(破産法九八条、一〇四条一、三号)、反面、相殺権の担保的機能を尊重し、破産債権者の保護のため破産法九九条以下の規定を設けて相殺権の拡張をはかっている。そして、この拡張の場面では、自働債権すなわち破産債権は、期限付でも、解除条件付でも、また債権の目的が金銭でないとか、金銭債権でも額が不確定または外国通貨で定まっているものでもよく、また、受働債権すなわち破産債権者の債務は、期限付、条件付または将来の請求権であってもよいとされている(破産法九九条)。さらに、破産においては、会社更生の場合と異なり(会社更生法一六二条)、相殺の時期の制限が定められていない。

このような相殺に関する破産法の規定を整合的にとらえるならば、破産法九九条後段は、破産債権者の側から、条件不成就の機会を放棄して直ちに相殺することができるとするだけでなく、破産宣告後に条件が成就するのを待って、相殺することができることも規定しているものと解するのが相当である。これに対し、条件が成就した段階では、条件成就が破産宣告後の債務負担に該当し、破産法一〇四条一号により相殺は許されないとする見解もあるが、このような見解に立つと、破産宣告後、破産債権者が破産宣告の事実を知らないうちに条件が成就したような場合にまで、相殺が許されないことになり、破産法九九条後段の趣旨が著しく没却され、妥当ではない。

さらに、この点に関し、原告は、破産法九九条後段は、受働債権の条件や期限の利益が破産債権者の利益のためでなく、破産者側にあって、破産債権者の一方的意思で受働債権について相殺適状の状態にできない場合には適用がないと解するべきであり、本件のように破産契約者の解約によらなければ履行期が到来しない債権については適用がないと主張する。しかしながら、右のような解釈は、特段の根拠もなく破産法九九条後段にいう「停止条件債務」の文言を限定解釈し、前記の相殺権の拡張の趣旨を不当に制限するものであり(確かに、本件の解約返戻金債権は、原告が解約した時点で履行期が到来したものではあるが、そもそも解約権自体、一身専属的なものではなく、解約前の段階でも、差押えの対象となり、差押債権者は保険契約者の解約権を行使することができると解されているのであって、原告が主張するほど保険契約者の意思を重視すべき根拠は存在しないものと考えられる。)、採用できない。

そして、以上のような破産法九九条の解釈を前提とすると、破産法一〇四条一号にいう「破産宣告後に債務を負担したとき」とは、債務の停止条件が破産宣告後に成就した場合のすべてを含むものではなく、破産宣告時に相殺の合理的担保的期待が存在する場合には、受働債権の停止条件が破産宣告後に成就したとしても、同号の相殺禁止に該当せず、破産法九九条によって相殺が認められると解さざるをえない。

なお、最高裁判所昭和四七年七月一三日判決(民集二六巻六号一一五一頁)は、「株式会社の債権者が会社に対しその整理前に停止条件付債務を負担した場合でも、整理開始後に条件が成就したときは、整理開始後に債務を負担したものとして、商法四〇三条一項、破産法一〇四条一号により相殺が禁止される」旨判示しているが、右は、破産法九九条のような条文の存しない会社整理に関する事案に関するものであり、しかも必ずしも破産宣告時に相殺の合理的担保的期待の存しない停止条件債務に関するものであるから、本件と事案を異にし、適切ではない。

(二) そこで、最後に、本件の相殺につき、破産宣告時に被告に合理的担保的期待があったかどうかについて判断する。

本件のような損害保険の一種である積立保険の場合、保険事故発生率は低く、満期返戻金又は解約返戻金を支払うかのどちらが発生する蓋然性は極めて高く(そして、相殺の担保的機能が顕著な役割を果たすと考えられる事態である破産に至れば、破産宣告後ほどなく、保険のほとんどすべてが破産管財人により解約に至る。もとより、営業継続〔破産法一九四条〕も可能であるが、営業継続がされる破産事件自体極めて少なく、また営業継続期間も短期間であることが多い。)、保険会社側もそれを予測して、約款上も、自動振替貸付及び契約者貸付などの制度を設けて一種の金融的機能を果しているうえ、保険契約者側も、このような保険につき一種の預金的認識を有しているのは明らかであるから、保険会社にとって、保険料の受入れは、その補償料部分を除けば、銀行における預金受入行為と類似する側面が認められることは否定できず、銀行が預金の受入れにより預金返還債務を受働債権とする相殺の期待を持つのと、程度の差はあれ、保険会社は、保険料の受入れと同時に、将来保険会社が生じる可能性のある債権との相殺を期待しており、このような期待は正当なものと考えられる。

したがって、被告は、相殺につき合理的担保的期待を有していたものというべきである。なお、本件各保険契約の場合、原告による解約の時点においては、破産宣告時より、解約返戻金の金額が増加しているのは明らかであるが、前記のとおり、本件各保険契約の場合は、破産宣告後に破産管財人が新たに財団から保険料を払い込んだものではなく、既に保険契約締結日に保険料が全額支払われていたものであり、したがって、その後の解約返戻金の金額は、保険約款の規定に従い、自動的に算定されるもので、単に因果の流れにすぎないというべきであるから、破産宣告後解約の時点までに増加した解約返戻金部分についても、破産宣告時に被告に相殺の合理的担保的期待が存していたものと考えられる。

(三) そうすると、被告による相殺は適法であり、右相殺により、原告の本訴請求債権はすべて消滅したものといわなければならない。

二  結論

よって、原告の請求は理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 神山隆一)

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